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2011年12月10日 (土)

SODA 舞台俳優としての松本潤

ブログ終了の件でごたごたしていて、触れるのを忘れてしまいましたが、潤くんの舞台「あゝ、荒野」が無事に終了したようで良かったなと思っています。
この舞台について2011年1月号の「SODA」にて、なんと私の大好きな徳永京子さんが観劇レポートを書いて下さっています。

この舞台、当日券もできるところは電話してみたりしたのですが、頑張り切れず、残念ながらワタクシ一度も観ることができませんでした。
観てもいない舞台についてのレポートを読んでも、正直かなり苦しいところはあるのですが、潤くんについて折角徳永さん(この方、舞台評論がおそらく本業と思われます)がレポートを書いて下さっているので、彼女の言葉をメモ程度に残しておこうと思います。

***
「舞台という“ライブのフィクション”を成り立たせるには、映像では問われることない才能が必要になる。それは、頭と体のいずれにも文学的なセンスが宿っていること。」
「松本潤がそのセンスを持っていることは、‘06年に上演された『白夜の女騎士』で確信していた。だが5年ぶりの舞台となった『あゝ、荒野』で、確信は信頼感へと変わった。」

「何に対しても自信満々で、腕も立つが口も立つ、ハングリーだけれどどこか醒めている面を持つ新次を、松本は力みなく演じる。ムダのない立ち姿は、新次が本当に“デキる男”であることを雄弁に語る。」
ブレのない新次を「自然にできていたのは、やはり松本に、戯曲の世界観を直感的に把握し、発生や仕草にすぐさま変換できる文学的センスが、極めて高い形であることの証だろう。」
***

カッコイイ徳永節で表現された「舞台俳優としての松本潤」を読むと、それをこの目で観られなかったことが一層悔やまれます。
特に私は舞台に疎いので、徳永さんの言う“頭と体に文学的センスが宿っている”というのが、どういうことなのかいまいちわかりません。
おそらくこれは頭でわかるのではなく、きっと舞台を実際に観て体で感じることなのでしょうね。
うーん、やっぱり残念だわ!
ただ舞台を観ていなくてもテレビを見ているだけで感じることがあります。
潤くんの表情に溢れている充実感です。
これはおそらく『あゝ、荒野』の新次を演じたことで得たものだろうなぁと思っています。
この充実感に溢れた表情は、テレビを見ている私までもを何とも言えないいい気持ちにさせるものです。
この充実感を引っ提げて、次は新たな映像の仕事ですね。
放送は来年からですが、潤くんが今度はどんな新たな表情を見せてくれるのか、楽しみにして待っていたいと思います。

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潤くん・雑誌」カテゴリの記事

コメント

まにまにさんへ。
初めまして。ちはやと申します。潤君が新次でいられた最後の日、劇場から帰宅してチェックしたブログ終了予告の文字に思わず声をあげてしまいました。大好きな寺山作品に蜷川さんと潤君が切り込んできた3時間15分を自分なりに消化することでいっぱいだった頭が真っ白になりました。3年ほどまにまにさんのブログを愛読させてもらっており、エントリー毎に共感のコメントを残したい気持ちでしたが、面識のない方とネット上でコンタクトをとることに抵抗を感じるタイプでなかなか勇気が出ず、今にいたっております。何者にもおもねることなく、いつもご自身の気持ちを素直に語ってくださるまにまにさんのブログが、私は大好きでした。潤君のラジオ終了のとき、あとからボディーブローのように効いてくるのでは、とまにまにさんはおっしゃっていましたね。本当にその通りでしたし、私にとってまにまにさんのブログ終了も同質のものになると思います。

潤君の舞台は私の中で既に出来上がっている寺山ワールドとの差異や戯曲と原作の相違に多少惑わされましたが、原作より美しすぎる新次の全身からは匂いたつような何かが終始発散されていました。徳永さんのおっしゃる「頭と体に宿

投稿: ちはや | 2011年12月13日 (火) 02時19分

る文学的センス」を、私個人は残念ながら舞台の潤君から感じとることはできませんでした。ただ、肉体にこそ真実が宿っていると信じて疑わない新次のそれが、潤君の生身によってビジュアライズされたことには大きな意味があったのではないかと感じます。身体づくりや発声の鍛練などでも並々ならぬ努力を積んだのでしょう。ラストのカーテンコールで真っ赤な紙吹雪が舞うなか、5年前の雪辱を愛情深い蜷川さんのもとで果たせた充実感をみなぎらせる潤君の表情は忘れ難いものでした。

「一途」は、やはりエントリーを続けるのは大変だったのですね。私は江森氏の作品が元々好きだったこともあり、毎月あの見開きページをソロソロとめくります。右半分の記事は、読むだけでなぜかいつも心がほんの少しつらくなります。二ノにはいつか、どうしようもないヒモみたいな役、やって欲しいですよね。

そして一昨年11月27日のリーダー大野智のエントリー、私も大のお気に入りです。

まにまにさんにお伝えしたい言葉はまだまだあるのですが、長くなってしまいますのでひとまず今回は失礼させていただきます。また最後に必ずコメントをさせていただきます。

投稿: ちはや | 2011年12月13日 (火) 02時25分

>ちはやさん

はじめまして。
終了予告の記事をアップする時、実は一瞬、潤くんの舞台を観た直後にこれを読む人がいるかもしれないなぁ…なんだか悪いなぁという思いがかすめたのですが、ちはやさんがそうだったのですね。
舞台を観た後のお気持ちを台無しにしてしまい、申し訳ありませんでした。
そして3年もお読みいただき、勇気を出して今回初めてコメントくださり、どうもありがとうございます。
日課のようにしていたもの、週に1回の楽しみなど、日常に溶け込み継続していたものが無くなるのは、それが無くなって初めて終了を身に沁みて実感するものだと思います。
そういう意味では私のブログも同じでしょうね。

潤くんは新次を全身で演じ、やはり充実していたのですね。
それを教えていただけただけでもうれしいです。

一途に関しては、江森さんの写真は私も大好きなのですが、芳麗さんが苦手で、彼女のインタビューを通したニノに付き合い記事を書き続けるのは、ちょっとしんどいところがありました。
ニノのヒモ需要、結構あるんですね(笑)
そしてリーダー大野くん記事も結構人気があったことを初めて知りました。

たくさん感想書いていただきありがとうございます。
また最後にコメントをいただけるとのことですが、最終記事の後はコメントにお返事しないかもしれないので、お返事必要でしたら12/30までにいただければと思います。
よろしくおねがいします。

投稿: まにまに | 2011年12月13日 (火) 21時17分

こんばんは。遅れてしまいましたが、やっとこの記事を読んだもので、コメントよいですか?
私自身、子供の時に子役という形ではありましたが、いくつか舞台経験があり芝居を見るのが大好きです。昔は蜷川さんの舞台も拝見しました。

限られた言葉と限られた空間の中で、無限の世界を作らなければならないのが舞台です。その世界をライブで伝え、感動を生む。もちろん、脚本、演出ありきではありますが、俳優がもっている世界観。オーラ。努力だけではどうにもぬぐえない、選ばれたものだけか生まれついて持っている特別なもの。
徳永さんが潤くんに感じたものとは少し違うかもしれませんが、舞台で人を圧倒させる方というのは、強い世界観を持っていますね。きっと潤くんも。ご覧になれた方うらやましいです。

DVDが発売されたとしても、舞台は生じゃないと魅力半減なので。見たかったな。私にはチケット運がないみたいです。

すっごい余談ですが、寺尾聡さんの子供役を昔したことがあって。ニノと兄弟だな~とこの間ふいに主人に言われ、そういえばとちょっとむふと思ってしまいました。くだらない話でごめんなさい。

お忙しいと思いますがお風邪などお気を付けください。

投稿: ちゃび | 2011年12月14日 (水) 21時00分

>ちゃびさん

こんばんは。

ちゃびさん子役をやられていたのですね。
舞台に立つ側と舞台を観る側、両方の経験からのコメント、大変参考になりました。
私もDVDでも観たいとは思いつつ、DVDではきっと感じたいものの半分も感じられないのだろうなと思いました。
ちゃびさんのご主人はとても優しい方なんですね~。
素敵だなと思いました。

それからコメントはどんなに昔の記事でも構いませんので、お気になさらないでください。
ちゃびさんも風邪には気をつけてくださいね。

投稿: まにまに | 2011年12月15日 (木) 20時37分

こんばんは!いつも拝見しております。
私は嵐の演劇舞台は必ず見てるのですが、今回だけはFC枠も無いし諦めていたところに娘のツテで何とか良い席で松本さんの舞台を見ることが出来ました。申し訳ないです。
私は娘が二人とも女優で一人は舞台専門ですので、舞台はかなり見ています。
この方の言う「文学的なセンス」という抽象的な表現は、ある意味「演技」そのもので、全体を消化し対象物に対して広がりを持たせることが出来る、技術的には素晴らしいのに誰にでもあるものではない、舞台特有の感覚的で前衛的なものだと思います。
もちろん肉体や外見も重要ではありますが・・・・
舞台は小手先では通用しないし、特に休憩後の後半の新次単独の見せ場(ボクシングシーンではない)は日本では松本さん以外では出来ないとすら思いました。
松本さんはアイドルとしてはあるまじき言葉かもしれませんが、大衆的ではない役こそ真価を発揮できる数少ない役者だと思います。
現代では無理な差別用語、卑猥な言葉、子どもには見せたくないような直線的過ぎる性行為。
記録に残らないから・一瞬で終わるからこそ「自由」があった時代、「演劇」のパワーを感じた素晴らしい作品だと思いました。
ちなみに小出さんのモノローグでしか言葉が出ない役も対比としても技術的にも素晴らしかったです。

余談ですが、ジャズ喫茶が出てきて早稲田の自殺研究会の方がそこでヒソヒソ声でしゃべるシーンがあります。
私は大学は学生の街にいまして、「陶酔するために」行くジャズ喫茶(ビバップ) は複数で行っても声を出すと怒られたし、とてもその感覚が懐かしかったです。


投稿: 哲美 | 2011年12月27日 (火) 19時08分

まにまにさん、こんばんは。
もうすぐですね・・・、寂しいです。

実はこの舞台、夜も寝ずに電話して、なんとか一席だけゲットしました。そして、大阪から遠征してきました。生で潤くんの舞台を見ることが出来て、本当に幸せでした。彼がどれだけ充実した時間を過ごしたのか、よく分かる気がしました。この時期に、この舞台に出会えてよかったね、潤くん。そう、素直に思えました。わたくし、舞台は大好きで、それこそ「見たい!」と思ったものだけ手当たりしだいに見ています。まあ、節操がないんですが、蜷川さんの舞台は本当にいつも新鮮で、感心させられる演出のうまさですね。
まにまにさんともいつか舞台、ご一緒したいです。

投稿: えみ | 2011年12月27日 (火) 20時19分

>哲美さん

こんばんは。
いつも読んでいただきどうもありがとうございます。

「文学的なセンス」がお分かりになる方、いらっしゃるのですね。
なんとなーく想像することができました。
またジャズ喫茶の雰囲気を懐かしめるとは、さぞかしこの舞台、堪能なさったことでしょう。

>松本さんはアイドルとしてはあるまじき言葉かもしれませんが、大衆的ではない役こそ真価を発揮できる数少ない役者だと思います。
>現代では無理な差別用語、卑猥な言葉、子どもには見せたくないような直線的過ぎる性行為。

蜷川×寺山の「血は立ったまま眠っている」は観たので、雰囲気はだいたい察します。
哲美さんはご存じかわかりませんが、私は「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」という舞台を観たことがあって、それ以来この主役を潤くんにやってほしい!と思っていたのですが、このコメントを読んで私の感覚は間違ってなかったなと思いました。
豊富な舞台鑑賞経験からのご感想、たいへん興味深く拝見しました。
どうもありがとうございました。

追伸:メールアドレスがコメントの内容とかけ離れていて、楽しませていただきました(笑)

投稿: まにまに | 2011年12月27日 (火) 20時55分

>えみさん

こんばんは。

やはりえみさんくらい頑張らないとチケットは獲れないんですね。
でも寝ずに頑張った甲斐があって、大変充実した舞台鑑賞をされたようで、本当に良かったですね!
舞台を観ていない私でも潤くんの充実ぶりを感じるのですから、舞台をご覧になった方は尚更でしょう。

私は詳しくないのですが、よい舞台があればぜひ誘ってください!

投稿: まにまに | 2011年12月27日 (火) 21時02分

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